月曜日 The-beginning-of-the-end 始動

今起こったことを素直に書こう。

 

暗い淵の底から引っ張られるようにして目が明いた。月曜日だ。素晴らしく美しい人生にハローと言おう。。眠たい目をこすりながら、身体の底からあくびを一つ。目が明けられないほどの眩しい朝日に照らされ、「ああ、月曜日が来たんだな」と思いながら顔を洗って歯を磨く。ミント味の歯磨き粉とプラスチックの糸で出来た歯ブラシ。絶妙な歯ブラシの動かし方で月曜一のブレックファーストであるミント味の歯磨き粉を味わった後は、髪の毛を整え、真っ白いワイシャツに袖を通す。メタルの腕時計。文字盤は青。シンプル。そこに紺色の無地のスーツを着て紺色の無地のネクタイに黒のベルト、極めつけは石鹸の香りの香水をプッシュし頭からくぐる。勿論、シューズは黒のストレートチップ。噓偽りない身なりで自身の孤独を隠す。「さあ行こう。世界が待ってる」自分にこう言い聞かせて家のドアノブに手をかける。

 

ドアから一歩家の外に出るとそこは別世界。それぞれの人間がそれぞれの儚い思いを抱いて一瞬の人生を生きている。洒落たブランド物のバックを持ったロングヘアーのOL、人生の友達サラリーマン、輝くほどにまぶしい学生たち、あどけなさの残る子供っぽいJKとDK、授業後の呑み会が日常のJD、DD、人生を生き抜いてきた年配の方々。すべての人たちが何気ない日常を生きている。

そんな当たり前の光景を見て、ふと思う。こんな当たり前の日常を生きれることが幸せなんだと。よく人は、失ってから失ったものの大切さに初めて気付くという。確かにあまりにも当たり前だとその大切さに気付かないものなのかもしれない。ただ生きているだけで幸せだと、そう思えること自体幸せなのかもしれない。  幸せの形は人それぞれ違う。美味しいものをたくさん食べることが幸せだという人、お金をたくさん持っていることが幸せだと思う人、家族がいてくれるだけで幸せだという人、ペットとじゃれ合うことが幸せだという人。色んな価値観持っている人がいる。そんな世界で自分自身を確立することは難しい。

特にこの日本では誰もが周りの目を気にしながら生きている。他人からどう思われているのかを気にするあまり個性を失う。でも、社会は個性を大切にだのオリジナリティを大切にしようと訴える。それが社会だ。もちろん、自分に自信をもてないことを否定するつもりもないし、個性がなくてもいい。自分には誰かを否定する権利なんてないし、しようとも思わない。今まで生きてきて大切にしてきたことは、「自分は自分、相手は相手」だから、お互い自分の世界を大切にして相手の世界に踏み込まない、壊さないということ。

電車に乗って揺られているとどうでもいいことを永遠と考えてしまう。このままずっと自分は一人なのかといったことや、今後の人生のことなど。それらは憂鬱を通り越して永遠のアンチテーゼになりつつある。そしてふと昔、片思いでフラれたことを思い出す。「相手の気持ちを完全に理解することなんて不可能だ。。」人生一の失恋経験からこれを学んだ。それももう、遠い昔。It was a long time ago。悲しくも懐かしい過去の失恋に思いを馳せながら気が付けば目的地。電車のドアが開く。心地よい春の風。目を閉じて全身で風を感じる。深呼吸。さあ行こう。夜はウィスキーのロックが待っている。